1937年代のアメリカ
1937年、アメリカは世界恐慌から徐々に回復しようとしていた時代であり、その中で501(R)ジーンズは過去と未来が交錯する進化を遂げました。この年はアメリカにとって困難な年でした。大恐慌の影響が続き、多くのアメリカ人が仕事を失い、農場や住居を失っていました。しかし、サンフランシスコの人々は常に前向きで、その中で1937年には象徴的なゴールデンゲートブリッジが完成しました。この橋も501(R)ジーンズと同様に、リベットで結ばれたものでした。
リーバイス1937 501の特徴
リーバイスが1873年に金属リベットによる衣服補強の特許を取得して以来、その製品は丈夫な衣服として広く支持されてきました。しかし、時代が進む中で、自動車のシートや家具、馬鞍を傷つけるといった理由から、バックポケットに表側から打たれていた露出したリベットに改革がもたらされました。リーバイスは画期的な製法を考案し、リベットの上に生地がかぶさるように打ち付けて隠す手法を生み出し、1937年にはその特許を取得しました。 1937年モデルの501XXは、このディテールを忠実に再現しています。バックストラップやクロッチ(股下)リベットは1942年から省略されたため、このモデルではまだ装備されており、アーキュエイトステッチは一本針ミシンによる中央がクロスしないオールド仕様。同時に、当時と同じく片面のみにビッグEが刺繍されたレッドタブが付けられます。1936年から採用されたレッドタブは、1950年代半ばまでビッグEが片面に刺繍されていました。『501XX 1937年モデル』は501の進化に伴うディテールの微細な変更に焦点を当てたモデルです。
1937年の501(R)ジーンズには従来のシンチバックが備わっていましたが、ウエストバンドのサスペンダーボタンは削除されました。その代わりに、サスペンダーボタンが必要な人々には、プレスして取り付けるボタンが提供されました。右後ろのポケットには有名なレッドタブが初めて付けられ、これは競合他社との区別を図るためのアイデンティティとなりました。同時に、リベットが家具や鞍に傷を付けるという顧客のフィードバックに応え、リベットが隠れるようにバックポケットが縫いつけられました。この変更を強調するため、世界初のポケットフラッシャーが発明されました。バックポケットには有名なサーモン色の生地を縫い付け、その上には、“The Rivet’s Still There.”(リベットはまだここに)という文字と矢印が描かれ、ポケットの角を指し示していました。
このような背景を持つ1937年モデルは、深めの股上とゆったりとしたストレートシルエットが特徴であり、時代の変化や顧客の声に応じて進化したデニムの傑作と言えます。
リーバイスビンテージクロージングで使用されるデニム生地は、日本のデニムメーカーであるカイハラ社が製造しており、日本の高度な技術によって当時のコーンミルズ社が製造した粗野なデニムの風合いを忠実に再現しています。特に、1937年製の501の復刻モデルでは、毛羽立ちが少なく、他の年代に比べてやや軽いオンス数のデニムが使用されています。このデニムは旧式のシャトル機で織られ、横幅が約27~29インチで、両端が赤い糸で縫製されている(レッドセルビッジ)。生地を最大限に活かすために製品が作られ、外側の縫いわせやウォッチポケットの裏にセルビッジが見られ、これが赤耳として知られるディテールを生み出します。このデニムは綿糸の凹凸が残り、着込むことで独特の風合いが増していくのが魅力の一つです。
アーキュエットステッチが重なっていないのも特徴です。
ご覧いただいてわかるように、アーキュエットステッチが1944年までは重なってませんね。501XX 1890年モデル 501XX 1944モデルも同様です。